芝 忠(しば ただし)

神奈川県異業種グループ連絡会議理事
関東学院大学講師。
東京都出身

※国内を初め、韓国・シンガポールなどにおいて異業種交流の普及啓発に貢献。

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 企業訪問 - 2006.05.30 -
詁置工業所
神奈川県茅ヶ崎市内にある詁置工業所(日置喬社長、58歳、資本金1000万円、従業員11名、売上高約1億7千万円)は会社としては昭和33年(1958)設立ですが、終戦後の昭和23年(1948)先代と現社長が2人3脚で、生活のため民家の軒先を借りて工場とし、市内で創業。当時はリアカーの修理などを手掛け、次第に領域を広げてきました。そして現在の矢畑工業団地へ移転したのは昭和54年(1979)ですが、高度経済成長の下、その頃から下水道整備が進み、当社も公共下水道関連事業に進出、特殊な分野での専門加工業という今日の地位を確保してきました。創業以来60年近く経過しています。
 
主力製品は下水道管(ヒューム管)の外部補強用の円形大型管です。厚さ 4.5〜25个療竿弔魃澤舛剖覆押合わせ目を溶接し、ヒューム管との間隔を 3.5个吠櫃弔里ノウハウです。出来上がり直径は 250〜3000个搬腓さも多様です。ロールマシンを使い、真円を出すのが永年の経験とコツの蓄積です。とりわけ工事現場からの特急製作依頼が多く、電話での内容を当社で図面に落とし、1日、2日で仕上げるという作業は他に追随を許しません。精度アップのための独自の治具の活用が当社の強みとなっています。
 
市場エリアは関東一円の他、長野県や新潟県にまで及びます。製作能力を買われ、平成4年(1992)には川崎市下水道局の「軟弱粘土地盤における同心円刃口推進工法」の実験に参加しました。湾岸工事や斜面工事に必要な技術です。規模は小さくとも隠れた技術加工型企業です。
 近年は工事作業用の立て坑を確保する大型管や、環境対応の新たなゴミ焼却炉・高層ビル・船舶関連機器部品などの用途も増加しつつあります。また輸出用建設機械に使用する円形部品も需要が急増しており、精密加工力が試されています。
 しかし従来のロールマシンの能力では標準加工厚さが16个如25舒幣紊任惑塾鷲埖であり、また新たな大径管への対応や精度アップには十分応えられません。そこで一段上のロールマシンを導入し、マシンに合わせた治具の開発、さらに加工データのコンピュータ活用による蓄積を図り、一層の科学的データ処理を目指すこととしています。また加工時間の短縮によるコスト低減効果も見逃せません。

 公共下水道関連事業が縮小しつつある状況下で、新たな新分野への進出が重要です。昨年は豪雪が話題になりましたが、融雪管に使用する関連機器の試作開発や、宇宙関連機器への挑戦なども検討しています。
 当社の強みは短納期に対応出来るということで、また若手社員も入社しています。現社長の後継者として他社に3年勤めていた息子の博之氏(31歳)が、戻って専務取締役に就任したのも明るい話題です。これまで特殊な業界内だけで動いていたため、あまり外部との接触が多くありませんでした。この度「経営革新計画」の承認を機会に行政との付き合いや、他業界との接触、若手経営者との交流を目指し体質改善を図ることとしています。やはり当面の事業の推進だけでは将来を見据えると不安です。自社の加工技術がどんな方面に役立つのか、様々な分野との交流や研究が不可欠です。自社の強みや役割をしっかりとした路線に乗せ、従業員ともども、将来性のある経営戦略を構築し、加工技術のさらなる向上を目指す必要があります。
 
今後の一大戦略として、自社の加工技術を例えば「日置式加工ノウハウ」としてブランド化を図ることが重要です。付加価値のある加工技術として客先にも認知してもらい、当社もさらなる磨きを掛けるということです。社名も今や貴重な有限会社ですが、簡略化して呼ばれやすい名称も検討すべきでしょう。「ヒオキ」などなど。
 町工場が後継者不足で次々に消えていく中で、3代目の候補がいることは大変重要な経営資源です。現社長も思い切った戦略に打って出ることが出来ます。事業歴は長いですが、将来性のある会社です。

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 企業訪問 - 2005.01.22 -
(株)山之内製作所
 横浜市神奈川区に本社をおいている(株)山之内製作所(山内慶次郎社長、46歳、資本金 3,200万円、従業員70人)は、主力工場が新潟県南蒲原郡田上町にあり、本稿第12回で紹介した「新潟県先端技術研究会」のメンバーです。創業は昭和39年(1964)7月、先代社長が横浜市内で東芝の協力工場として立ち上げました。当初は家電や半導体部品、自動車のエンジン部品など量産品が中心でしたが、昭和60年(1985)の円高をきっかけに大手企業の海外シフトに拍車がかかり、このままでは「量産品では行き詰まる」と考え、平成になった頃から「航空・宇宙部品」に進出しました。飛行機用部品から次第に宇宙関連分野へと手を広げ、今日では売り上げの35%がこの分野です。
 もともと先代は職人気質で機械加工を得意としてきましたが、現社長が新潟事業所へ赴任して以降、設備投資に努め、5軸制御マシンなどの高額な機械を24時間フル稼働させ、かつ設計からプログラミング、機械加工まで1人の技術者が全てこなしてしまう態勢を作り上げましたので、同業他社に比較してスピードがまるで違います。納期、価格、精度で国内でもトップクラスの競争力があります。宇宙部品などは溶接や組み合わせを嫌うので、ムクの素材から複雑な形状を切り出してしまう。ロケットや人工衛星など宇宙部品は極めて数が少なく、1品生産に近い形態です。それでも利益を出せる「ものづくり」に挑戦しています。
 この会社の生命線は人材育成です。現在、社長の下の常務取締役が48歳、その下の取締役営業本部長と取締役製造部長がいずれも32歳と通常では考えられない年齢構成です。工場の各機械加工セクションのリーダーも20歳代から30歳前半代を多数登用しています。ISO14001 も平成13年(2001)自力で取得しました。

ここまで人材が育った理由を、「自分で考えろ」「やってみろ」という精神で指導。一つのことだけに集中するいわゆる職人を育てるのではなく、何でも出来る「多能工」を育てた。結果、若くても総合判断力が身に付き、管理的能力が上昇。機械に出来ることは出来るだけ機械に任せ、人間は、機械の不規則な工程・非正常な問題が生じたときに対応する、対応の仕方を人間が考えるというやり方で工程を管理。人間だけに任せると必ずポカミスが発生する。逆に機械に任せ、機械が出来ないことを徹底的に調査・分析し、人間が対応するようにすると、自動化率がどんどん上昇します。すなわち機械を遊ばせないやり方で使うので、結果は少人数で十分利益が出ます。しかも職人並の精度保証が可能となります。不規則データをどんどん蓄積して、数値化し、解決ソフトを作成するので、単品生産も自動化可能となります。「超微細加工」を追求するのではなく、皆が困っていることや1品生産、すこぶるニッチ市場に対応することにより、「そこなら出来る」「そこしか出来ない」という分野を確立してきました。ここまで来るにはやはり先代社長との確執がありましたが、採用した社員が次々に辞める中で、残った社員を活かす方法を考えついたのが始まりと言います。新潟工場も採用難の中で先代の出身地へ人材確保のため進出しました。現地採用者が大半を占めます。
 
 同社は航空・宇宙用材料として軽量で機械加工しにくいアルミニューム、チタン、マグネシューム、モリブデンなど非鉄金属や、ステンレスなどの超精密加工技術の開発を手掛けてきました。本稿、第18回で紹介した「航空・宇宙開発関連部品調達支援プロジェクト(略称、まんてんプロジェクト)」に真先に参加、本年(平成16年)4月に設立した新会社JASPA奸淵献礇僖鵝Ε┘▲蹈好據璽后Ε僉璽帖Ε▲愁轡Дぅ轡腑鵝砲虜罵力企業の一つです。以前、本社工場があった横浜市保土ヶ谷区に新工場を増設し、新規需要に対処するとともにJASPAの新拠点を兼ねる予定です。JASPAは航空・宇宙部品づくりだけでなく、品質保証というこの分野では必須システムの一括保証体制を築くことが最大の狙いです。この点でも同社が永年蓄積してきたノウハウを活用し、わが国で初めての「中小企業ものづくり集団」による宇宙開発・利用分野への挑戦です。独立行政法人・宇宙航空研究開発機構(JAXA)(平成15年10月、3既存研究機関の統合により開設)からも宇宙開発技術の民間への移転システムの有力な中小企業集団として積極的に位置づけられています。すでに微小推力による姿勢制御装置(地上試験用)や、折損バネの機能試験用バネの納品など、実績が高く評価されています。宇宙部品は真空度が高く(高真空)、紫外線など宇宙線が直接作用します。また温度も摂氏マイナス2百度から3千度までの耐熱性が要求されます。無重力状態での試験が一番困難だそうです。結局は実際に打ち上げてみないと、最終的な機能評価は不明ということです。そこに一般の地上用部品と異なる困難性があります。この「まんてんプロジェクト」やJASPA佞蓮経営戦略がそれぞれ異なる中小企業集団ですので、1人の経営者だけでは事業の推進が難しく、参加者の相互理解と強力なリーダーシップという相反する経営能力が求められます。年代的にも20代から70代までさまざまな人達の集まりです。これを取り纏めていくのは極めて大変ですが、5年前(平成11年12月)に父親である先代社長が亡くなり、あとを継いだ時のように、第二の創業と同じ状況です。社長は若い時から青年会議所や商工会など各種の団体活動に関心を持ち参加してきました。この一大プロジェクトも同じようなセンスで十分対応出来ると思いますので大いに期待します。 平成16年(2004)11月24日
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 企業訪問 - 2005.01.22 -
(株)光合金製作所
北海道小樽市にある(株)光合金製作所は寒冷地における水回り製品(不凍給水栓と関連機器)を開発・製造・販売しているメーカーです。資本金6600万円、従業員 110人。代表取締役社長井上晃氏(41歳)。創業は1947年。故先代会長(井上良次氏)が、苫小牧から小樽へ移り、北海道では絶対必要な不凍給水栓の製造・販売を手掛けました。筆者も子供の頃、東京でしたが冬季に水道管の破裂を経験しており、管に藁を巻いたりしていました。氷点下最大−30℃にもなる地域では大変です。毎晩、地上に出ている水道管内の“余り水”を外に排出しないと翌朝には破裂してしまいます。その排出作業を行う機構が「不凍給水栓」です。戦後資材が無い中、道内では一時給水栓の供給がストップしました。そこで当時、一大海運港であった小樽で培われていた鋳造技術と独自に考案した溶解炉を組み合わせて低価格で品質の良い砲金鋳物を生産することに成功し、本州企業の進出に先駆けて商品化しました。不凍給水栓の生命は水の供給を停止させて、地上部分の水を排出させる弁機構にあります。従って当社の歴史はこの弁機構を如何に機能化し、かつ住宅事情の高度化(水+湯、台所から風呂・洗面・トイレ・庭まで、2階建て・3階建てと複数化)による増大する水需要に対応した改良・改善の歴史でありました。
 現会長(井上一郎氏70歳)が1964年大学の研究室から当社の商品開発部門に移ってから本格的に各種の技術開発に挑戦、工業所有権も 500件以上取得しています。電子化にも早くから取り組み手動から自動化へ、遠隔操作機構の開発へと機能アップさせてきました。低温試験室の設置、自前の鋳造技術、電子基板の開発、新規材料の研究、基本構造の変更(エネルギー損失の大幅低下機構の開発)など多種多様です。
 当社が対象とするマーケットは、一般住宅用だけでも、道内 190万世帯のほか、本州の東北地方 400万世帯や長野・高知などの寒冷地などで、そのシェアは全国40%を占めるトップメーカーです。近年は住宅ごと暖房する家が増大して不要な部分もありますが(庭などは必要)、スキー場・別荘地などの新規需要の増大、更に更新需要が50%もありますので、全体的には売上(約18億円)は落ちていません。
 当社は不凍給水栓以外の製品にも進出しようと考えたこともありましたが、結局はこの限定された市場に特化した経営戦略で今後もいく予定です。韓国・ロシア・中国東北部など海外戦略も検討中です。
当社の発展の原動力は一にも二にも『人材育成』にあります。先代会長当時から生涯学習の考えを取り入れ、事務・技術を問わず、公的機関の実施している夜学研修に大量に派遣しており、また大学や高専などの教育機関と密接な連携の中から有能な人材の確保に努めています。採用の面接試験には同年代の若手も試験官として参加するなど他社では考えられないような試みも行っています。特許の取得や維持についても、集団的な幹部会により一つ一つ検討を加えるなどきちんとした知財管理を行っています。インターンシップや海外研修生の受け入れ、果ては土・日の工場見学にまで対応しています。
 また地域との関係も重視し、歴史的に小樽が近代工業技術の発祥地の一つだったこと(小樽陋饂ニ擺屬療監擦国内3番目に開通)や江戸後期の日本海海運の発達や鰊(ニシン)漁業の基地だったことなどの歴史を掘り起こし、当社のバックボーンに小樽の近代化や技術の蓄積があったことを常に訴えています。年間八百万人も来訪する観光事業にも目を向け、レンガ倉庫や運河の活用、石原裕次郎記念館の誘致など各種の観光スポットの開発にも大抵係わっており、井上会長は“小樽観光ガイド”を自認しています。
 道内や地元の中小企業団体にも多数関わり、先代会長の時代から北海道中小企業家同友会(代表理事を勤める)などの重責を担ってきました。井上会長も人的ネットワークを非常に重視し、若いときから各種の経済団体に参加し幅広い交遊を続けています。筆者との出会いも、20年前、東京での中小企業家同友会主催の異業種交流会で知り合ったのが最初です。
 後継者については本年春バトンタッチに成功しました。ご子息の晃氏は大学卒業後3年間他社に勤め、大手各社への営業経験を積んでから当社に入社。順調に社内各部署を経験し、当時はまだ後継者として確定していませんでしたが、徐々に頭角を現し、 年専務取締役、 年代表取締役副社長に任命し、今日に至りました。井上会長は後継者の条件として・社員や客先の意見を良く聞くこと・健康であること・好奇心が旺盛なこと、を挙げています。社長の座を譲って(2004年春)からは、さらに道内外の情報収集に勤め、また市場の研究調査に余念がありません。『水』『寒冷地』『バルブ』の3要素技術の組み合わせを貫き、将来の展開方向を考えています。海外からの研修生をテコに中国等の進出を検討していますが、良いパートナーが見つかるかどうかでしょう。グローバル化時代とはいえ、土地の事情や住宅事情の違い、輸出ではなく現地生産の可能性が社業にどう貢献するかが問題でしょう。しかし、事情の違いが新たな技術開発に繋がる可能性もありますし、日本の住宅開発の転換にも繋がる可能性もあります。50年後には日本の人口も1億人を割る規模になります。いずれにしても10年後、20年後の技術開発の方向性がカギを握っているように思えます。
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